No.0 遠野ゆうき


青年が剣を落とした。
その顎にすっと向けられたナイフは刃を潰したものであったが、輝きは失われることなく、満ちた月を反射させ煌めいていた。

腕を上げたな。彼はふっと微笑み、負けを彼に告げた。

「おれの勝ちだな!」
戦っていた少年が彼の首元からナイフを引く。
…暫く前線に出して貰えない鬱憤でも溜まっているのだろうか、勝負がついたというのにその目は嬉々とした楽しさで溢れ返っている。
このまま彼が黙っていれば目の前の少年はきっと
「ロナード!もう一回だ!」
というに違いない、いや、予想より彼の言葉が早かったようだ。
「いいだろう」
ロナードは剣を拾った。


The better for my foes and the worse for my friends.


扉が閉まり、がつんという音が響くと同時に彼は思い切り伸びをし、息を吸い込んだ。
どこかの窓が開いているのか、その空気にはかすかな花の匂いが混じっているようだった。

「あー……」

ゆっくりと息を吐き出し、腕にそっと鼻を近づける。

う、機械臭いったらありゃしねえ。そう心の中で呟く。
閉じた扉の向こうでは徹夜明けの睡魔と闘い続ける友人の、壊れたオルゴールのような笑い声が響き続けている。
彼は、そっと後ろを振り向くと、軽く首を傾げる。
こき、という首が鳴る音がした。


それにしても、眠い。彼はまだ心の中の止めることのできない呟きを繰り返し……それを止めたが最後、きっと彼の意識は睡魔に取り込まれるであろうことが彼自身にも解っていたからだったが……繰り返しながら、廊下を這う、昔話の屍人の様にのろのろと歩いていた。
「ハント?」
「っ!」
余程眠らぬための対策に心を奪われていたのだろう、背後に立つ存在に気付かず、驚く彼…ハント。
その拍子に、廊下で躓き、強かに後頭部を打ちつける。
「ちょ、ちょっと、大丈夫か!?」
声をかけた主も、まさかハントが倒れるとは思っていなかったのか、声を裏返させ、彼のもとへ駆け寄ってきた。
「ああ、レイナスか……多分、大丈夫だ」
大丈夫、という言葉に、レイナスの表情が心配から安堵のそれに変わる。
「よかった」
「すまねえな」
レイナスの伸ばしてくれた手を取り、ハントは立ちあがる。
「それにしても、どうしたんだい?」
彼は不思議そうにハントを見つめている。
「何がだ?」
「今日のハント注意散漫だなと思ってさ」
ああ、それか、と呟き、彼は手を離すと膝と腰を軽く払う。
「ベルンハイムがな」
…肩を竦めながら。
「船長がどうしたっていうんだ?」
「部屋の整理と機械の整備に駆り出されちまったんだよ」
「でも機械の整備って」
そう言うと彼は食堂の方を指さす。ご飯を食べに行こう、と言っているのだ。
「そう…まったくの専門外だっつーのに」
二人は歩き始めた。心なしかレイナスは歩を緩やかにしているようだった。
「でも付き合ってたんだ」
「ああ!」
おかげで徹夜さ!そう叫びハントは肩をもう一度竦める。
レイナスはそれを聞き、ふっと微笑んだ。
「じゃあ今日は休んでてよ、戦いはおれたちでやっとくからさ」
「そういうわけにもいかねえだろうが」
唇をむっと立ててハントを睨むレイナス。
「でもそれどころじゃないだろ、……さっきだって五回は呼んだんだ」
そう言われては返す言葉が無く、わかりましたよ、と彼は唸る。
「ゆっくり休んでよ」
「はいはい」
ハントの返事に反応するかのように、わずかに先を行くレイナスの足が止まる。
「……まずはご飯食べてからだけど」


珍しいこともあるものだ、と、彼はその人物を眺めた。
レイナスや、彼らの仲間が談笑を繰り広げる食堂で、虚ろな目をし、目の前に並ぶ皿の上のものを機械的に口に運ぶ青年。
……その中には彼の好物もあるというのに、感情の変化ひとつ見せず。
彼の座る席の向かいに座っても何一つ反応が無い。まるでそこだけが異空間の様であった。

顎に手をあてしばらく考えたが、ふと目の前の「彼の好物」をその皿へと投げ入れた。

やはり見向きもせず、茹で野菜の塊を口に運ぶ。
ふと、彼も目の前の青年と同じものをそのまま口へと運んでみた。
……味が無い。塩をかけて食べるものなのだろうそれは、彼の予想通り、味気が無く、とても普通の感覚ならそのまま食べられるものではなかった。
「おい」
茹で野菜を一つ。
「ロナード?」
先ほど彼が放り込んだ好物を口に入れる。フォークが離れた。

ぱちん、とロナード、と呼ばれた青年の頬が軽く音を立てる。
その場にいた数名が振り返るが、
「ちっ、予想外にいい音しちまったぜ」
すぐ談笑に戻った。
「……ハントか」
「おはようございます、ロナードさぁん!…ったくどうしちまったんってんだ」
彼の皿からハントの好物をさりげなく掠め取りながら質問を投げる。
「すまない…少々寝惚けていた様だ」
寝惚ける、という単語に、ハントの眉が上がる。
「まさか、あんたも徹夜か?」
「…仮眠は取ったが……まあそのような物だろう」
水を軽く含み、それを飲み干しながら彼に質問を繰り出す。
「誰のせいだ?」
「誰のせい、とは…?」

その時だった。席に座り談笑していた仲間たちのうち、ひとりの少女が立ちあがり叫んだ。
「なによ!そんなに言うんだったら食べなくていいわよ!ザードのバカ!」
間の青年…ハントと共に入ってきたレイナスが少女を宥めようとするが、そんな彼の気持ちとは裏腹に負けじと向かいに座っていた少年も声を張り上げる。
「うっせーな!大体何だよ!毎日毎日作りやがって!飽き飽きしてるんだよっ!」
その言葉に、ぐぐーっと少女は少年に顔を近付ける。
「なーにーよー!いいじゃない!だって好きなんだもんっ!」

「好きか…そうなんだよな」
「…そうだな、そう……だろうな……」
三人の様子を眺めながら、ハントとロナードの口から同時に感想が漏れる。

「ん?」
ハントがわずかに早くその合致に気付き、ロナードを振り返る。わずかに遅れ、ロナードも。
「ロナードお前…同じこと考えているのか?」
「…そう思うのならばそうなのだろう」
その言葉に、ハントの口の端が上がる。
「それは聞いてみたいところだな…どうだ?甲板あたりで話さねえか?」
手にしていたフォークを置きながら。
「奇偶だ、…おれもそう考えていた」
同じく、フォークを置く。
「…あれも連れていって構わないか?」
「構わねえぜ…あんたさえ好ければな」


「だーかーらー!もうおれは要らねえって言ってるだろ!」
立ったまま両手を突き上げ怒る少年。どうやら意地と解っているようだったが抜いた心の刀を仕舞う事は彼には……少女にも出来無かったようだ。
そのまま内容のないことを叫び続けている二人のうち、少年、ザードの背後に、二つの影が寄り添った。
「あ」
少女の表情が一瞬にして驚きに変わる。
「…どうしたんだよ」
二つの影が頷く。
「な、ラナ…!?」
その瞬間、彼の腕はがっちりと捕えられた。
「な!」
叫ぶ間もなく、彼はずるずると食堂の外へ運び出される体勢になっている。
「おい!おっさん!ロナード!」
「どうした」
右腕の青年が見下ろす。
「話がある」
彼の返事を待つ間もなく左腕の男性がピシャリと質問を切った。
「な、なんだよ!放せって!…逃げねえし!」
しかし反応はなく、ただ引きずられるのみ。焦る彼は今まで喧嘩していた相手達の方を振りかえった。
「…レイナスさん!ラナ!」

「おいしいですかー?」
「ああ、すごくおいしいよ」
態となのか、…呼ばれた二人、レイナスとラナは完全に彼ら三人を無視する積りであるみたいだった。

ザードの助けを求めるような悲鳴は、しばらくの間薄く響くのだった。