No.5 きげこ/海龍神 (4/8)
(きげこ)
「急がないと間に合わない…!」
それを見ていた彼女は急いで教室を飛び出し、廊下を駆け抜け、ある場所へと向かっていた。途中、教師や生徒に体当たりを食らわせるも、彼女は足を止めない。
背中に抗議の声を聞きながらようやく目的の場所が見えてきた。
だが、やっと着いたというのに彼女は足を止めてその場に立ち尽くした。
目当ての彼がそこから出て行くのが見えたのだ。
しかし慌てて話しかけることはせず、彼女―――ラナは彼の後ろをこっそりついていった。
ヴァイスは今朝と同じ愛嬌のある笑みを向ける男を見つめていた。今は今朝と違ってひどくいやらしく思えた。鼻の下と顎に蓄えられた髭は短く切り揃えられているのに、こんなにも汚らしく見える。
「…何か…ご用ですか?」
正直話したくもなかったが、教師だと分かった以上ぞんざいにするわけにもいかず―だが言葉の端々に棘を含むのを隠そうとはせず―仕方なく、ヴァイスは新任の教師の名を呼んだ。
「ハント先生」
ツンとすました声にハントは内心で満足気に頷く。もちろんそれを悟られないように二人を交互に見て全く別の話題を振った。
「お前ら、仲良いんだな」
「それが…何か?」
「レイナス」
突然名前を呼ばれ、じっと険しい表情で見据えていたレイナスが更に眉根を顰めた。
「何ですか…?」
どうやら第一印象は最悪のようだ。これはヴァイスから何か聞いたか、それとも―――…。
「悪いが、こいつ借りるぜ」
「え?」
ハントはヴァイスからもレイナスからも了承のないまま、あっさりと自分のとは似ても似つかない女性のような細い手をとっていた。
「せん…っ」
「別にとって食いやしねぇよ」
あっけらかんと笑い声を残して、ついでにレイナスの唖然とした顔も置き去りにしてハントは角の向こうに姿を消した。
「何なんだ……」
完全に置いてけぼりにされたレイナスは驚くほどの脱力感を感じていた。
「私、知ってるよ」
突然湧いた明朗な声に振り向くと、そこにはシルバーブロンドの長い髪をツインテールにした少女が立っていた。学園の制服を今風に着崩してにっこり笑っている。
「ラナ…」
彼女は自分やヴァイスより一学年下だが、姉のニアが同学年で、彼女が入学してからは放課後を一緒に過ごしたりする仲になっていた。ラナはニアと違い天真爛漫な性格で、どんなものでも好きだと思ったらそれしか見えなくなる節があった。
「知ってるって…あの二人の事を?」
「うん」
訝しげに眉を顰めるレイナスを無邪気に見つめたまま歩み寄ると、ラナはそっと耳打ちした。
「ヴァイスは、ハント先生に、助けられたの」
驚いて振り向くレイナスに再び満面の笑みを見せると、
「相手をやっつけちゃって、すごくかっこよかったよ?先生。ヴァイスも先生に見惚れてた」
「何だって!?」
「本当」
ラナが浮かべる笑顔はいつもと変わらない。嘘をついている素振りなんて少しもなかった。
「ヴァイス…嘘だろ……」
だから遅刻した理由をすぐに言わなかったのか。
だから彼を見た時、あんなに驚いていたのか。
だから、顔が赤らんだのだ―――。
ラナはショックを受けるレイナスにごめんね、と小さく胸の内で謝った。
ラナがハントを初めて見たのは、今朝痴漢騒ぎがあった駅だった。
痴漢を殴り倒し、被害者に優しく声をかける姿にラナは今までに感じたことのない胸のときめきを覚えた。
そして学校で再び教師としての姿を見た時、これしかないと思った。
運命―――。
ラナは朝のHRが終わると一目散に教室を飛び出し、こっそりと職員室で聞いた、ハントが担任する教室へ向かったのだ。すると丁度彼が教室を出て行くところで、それならば人が少ないところで話したいと思い後をつけたのだが…まさか、こんな場面に遭遇するとは思わなかった。
彼女は彼女なりに、ショックを受けもしたが―――
ハント先生は、ヴァイスを好きになっちゃったんだ…。