No.5 きげこ/海龍神 (6/8)
(きげこ)
音高く響いた頬を打つ音に周囲にいた生徒達が何事かと注目する。
しかしレイナスは呆然とヴァイスを見つめた。
「見損ないましたよ……」
そう言って背中を向けて行ってしまうヴァイスに、何の言葉もかけることもできずに―――。
打たれた頬がじんじんと熱い痛みを訴え同じ痛みが胸にも広がっていった。
「……どうして…」
何の事情も知らない生徒達がさわさわと面白げにささめくが、レイナスにはそれがやけに遠く感じられた。
その後はよく覚えていない。気付いたら自分の部屋のベッドに突っ伏していた。頬の痛みはもうない。だがその代わりに胸の痛みは増していた。
脳裏ではずっとヴァイスの顔が浮かんでは消え、浮かんでは消え、を繰り返している。
自分にだけ見せてくれるやわらかな笑顔や、「好きだよ」と言った時の赤く染まった頬、拗ねた時の顰められた眉とか、一番好きな―――照れた時のはにかんだ、でも嬉しそうな笑顔… それらが走馬灯のように駆け巡り、そして―――
『話さえ聞いてもらえないんですね…』
傷ついたあの表情ばかりが鮮明に映る。
レイナスはヴァイスを見つめていた。
悲しい瞳でヴァイスもレイナスを見つめていた。
やがてヴァイスは、レイナスを見つめたままゆっくりと背を向ける。
はっとして追おうとするが、レイナスは踏み出そうとした足を止めた。
ヴァイスの肩に―――添えられる手が―――
手から腕が現れ、腕から肩が現れ、がっしりとした体躯の背の高い男が現れ、首から上がこちらを振り返っていた。
今朝見たばかりの新任の教師が笑っていた。
そして、ヴァイスは肩に置かれた手に促されるように、完全にレイナスから背を向けた。
「待って…違う!ヴァイス!違うんだ!!」
その言葉に反応したようにヴァイスが顔だけレイナスを振り返る。一瞬ほっとしたレイナスの目が、ヴァイスの唇を捉えた。何か言っている。
「あなたなんて―――」
急激に視界が明ける。レイナスはベッドの上で飛び起きていた。
目の前にドアと白い壁が見える。壁際につけてある棚に目をやると、そこに置いている時計は6時過ぎを示していた。もう陽も暗くなりかけて、夕闇の紫色に部屋が満たされていた。それはついさっき見た夢のような色だった。
「ヴァイス……」
あの言葉の続きは聞けなかった。だが、きっと、そのうち聞くことになってしまう。
レイナスはぐっと拳を握り締めると部屋から飛び出し、学校へと走り出した。
さて、そろそろ帰るかと椅子から立ち上がったその時、突然けたたましくドアを開け放って入ってきた生徒に、ハントは目を見張った。
そこにいたのは急に早退してしまったレイナスだった。
こちらをジッと睨みつけている。
「よぉ。もう今日の授業は終わったぜ。忘れもんか?」
「ハント先生…」
「んぁ?」
「僕と…」
―――あの時ヴァイスが見ていたのは僕じゃない。ヴァイスは、僕の嫉妬を見ていたんだ。
「僕と、勝負してください!」
僕はそれを認めたくなかったんだ。だからヴァイスを責めて…
馬鹿だった……!
見損なった、なんて言われて当然だ!
「僕が、先生に勝ったらヴァイスのことは諦めてください。もし、先生が勝ったら……」
僕は、自分の手でヴァイスを取り戻してみせる!
「僕は…ヴァイスを諦めます」
ハントとレイナス以外誰もいない職員室。そのすぐ外で、ラナは聞いていた。
そして聞き終わるが早いか携帯電話を取り出すと、ヴァイスへメールを打ち始めた。